上野戦争

2月12日に京都の鳥羽伏見の戦いに敗れた最後の将軍、徳川慶喜は、その後、江戸に逃げ帰り上野寛永寺で蟄居を続けていましたが、4月5日に慶喜の全権代理、勝海舟と官軍側代表の西郷隆盛とが会談し、慶喜の水戸謹慎及5月3日の江戸城無血開城が決定され江戸城攻撃は回避されました。
しかし、当時徳川慶喜を警護する名目で、寛永寺内に駐屯していた幕府残党は
彰義隊と称して官軍兵士を殺傷していました。

官軍側は大村益次郎を総司令官に任命し、大村は総攻撃前日に彰義隊の殲滅を
宣言たところ、その半数の隊士はその日の内に脱走してしまいました。
旧暦の5月15日、新暦では7月4日、大村は総攻撃を指示,約500名ほどの彰義隊隊士が黒門付近で戦闘を開始しました。


官軍側はこの正門及び寛永寺裏手側から彰義隊を攻撃。


加賀藩邸(東大の現在地)に置かれた12門以上の大砲は寛永寺に直接撃ち込まれ、彰義隊はその日のうちに殲滅されました。


尚、黒門は荒川区内の円通寺で日中見学可能です。

ツアー価格
2人で13,000円(税込)
3人で11,000円(税込)
4人で9,000円 (税込)
5人で8,000円 (税込)
6人で6,000円 (税込)

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